2012年01月14日(土)

今日は色々あったのですが、イースター島の話を書きます。

 

昨日、わけあってWikipediaの「イースター島の歴史」を読みました。いやはや。なかなかスゴイ、イースター島

小豆島の大きさに最盛期は1万人(一説には2万人)住んでたとか、そんな狭いところで部族がいくつもあったとか、しかも部族間で戦争してたとか。もう無茶苦茶ですよ。

しかも、部族ごとにモアイをもっていて、戦争すると真っ先に相手部族のモアイを倒すっていうんですよ(モアイの目には霊力があると信じられていたからだとか)。まるで棒倒しですよ。

で、僕らがイメージする戦争には武器がつきものですけど、イースター島の部族は鉄器をもっていなかったというのです。石で殴り合う戦争っていうのが、いまいち想像できません。

更に。イースター島にはロープを作れる植物が存在しなかったというじゃありませんか。ロープ無しですよ? ロープも無しで、どうやって、あの大きなモアイを倒すんでしょう。棒を使ってテコの原理を使うのだろうかとも思いましたが、戦争が行われた頃には、そんな大きな木はイースター島にはなかったらしいのです。島唯一の大きな木はヤシの木なんですが、モアイを作る為に、島のヤシの木は殆ど切り倒されていたらしいのです。テコもロープも無しで、どうやって倒したの? みんなで押した? 穴を掘った? そんな事、敵が黙って見逃す訳はありません。敵の部族を石で動かなくなるまで殴ってから、倒したんでしょうか。それとも、夜に、みんなでこっそりと行ったのでしょうか。

結局、モアイを作ったり倒したりしている間に、島からヤシの木は無くなり、家は建てられないカヌーは造れないで、生活は石器時代に逆戻り。そこに白人達がやってきて、奴隷として連れ出され、その上天然痘は大流行。イースター島の人たちは、1872年には111人になってしまったと云う事です。

その結果、残されたイースターの文字・ラバヌイ語を読める人は誰もいなくなり、モアイの作り方も、立てた理由もまた永遠の謎となってしまいました。

そんな歴史の生き証人モアイ。何考えてるかわからない顔といい、すげぇこわい。