2012年01月30日(月)
アスカ・ラングレーに「私を誘うんならパチンコにしてよね!」と怒られるラジオCMでおなじみの名古屋からごきげんよう、西村です。
今日は、録画していた「相棒」がヘビーローテで流れていて、どうにも気になって仕方がありませんでした。
そんな過酷な環境下で、今日のエントリは書かれています。クオリティはお察し下さい。
そんなわけで、推理ものは、他のことをしていても、ついつい見てしまいます。
推理ものは、基本的に人が殺されて、探偵が推理して最後に犯人を当てるというパターンが殆どです。ですので、途中から見てもそれなりに見れてしまいます。少なくとも、探偵は必ず犯人を捜している訳で、それだけでも、ガンダムよりはわかりやすいでしょう。
推理小説には、ノックスの十戒という推理小説を書く際のルールも存在します。ヴァン・ダインの二十則というのもあって、その中には「>長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない」という「えー、そんな理由で人が死ぬのかー」と思わざるを得ない、ぶっちゃけたルールまであります。
勿論、これらのルールを破った作品もたくさん存在するのですが、ある程度「意識的に」ルール破りを行っているようです。むしろ、明確だからこそ破りやすいんでしょうね。
そんなルールや歴史が、推理ものの「型」を形作っているのでしょう。
こんな明文化されたルールがある物語ジャンルは、僕は他に知りません。
物語にルールなんて、堅苦しい気もしますが、ミステリィ作家の森博嗣が何かで書いていたように、それ故に推理小説は「書きやすい」という側面もあるかと思います。そして、同時に、他と差がハッキリ分かってしまうという意味で、むつかしいジャンルだとも言えるのでしょう。
僕は、なんとなく、推理小説とエロマンガというジャンルは似ていると思っています。