2012年01月17日(火)

今日も何もない平和な一日でした。

でも、1995年の1月17日は大変な事がおこりました。阪神・淡路大震災です。

その時。僕は、自分の部屋のおふとんで寝ていました。気が付くと、真っ暗な中でただただ揺れ、次にドサドサと重たいものがおふとんの上に落ちてきました。それは、本棚に入っていた学研の図鑑が飛んできていたからなんですが、それでも半分寝ていた僕は、上にあるのは天井しかないから、これ天井かなぁ、と想像していました。長かった揺れが止まった時、真っ黒な闇の中で「なにがあったかわからないけど、でも、そんなに痛くないから、もう少し寝れるかもしれない」とか考えながら、起き上がりもせず、おふとんの中でごろごろしていました。地面が揺れたのに、本棚が倒れ掛かってきていたのに、僕はまだ、この時点で地震だと思ってもいなかったのです。

しかし、結局、そのあとすぐ起きる事になりました。父が大騒ぎしはじめたからです。

仕方なく起きた僕は、部屋の明かりをつけました。その時はじめて、おふとんの上に落ちてきたものが本であることを知りました。本棚が倒れ、部屋の中がぐちゃぐちゃなことを確認しました。部屋を出ると、父はすでに家の中の被害状況をあらかた確認していたようでした。電話がどこにも掛からない事を嘆いたので、すでに会社にでも連絡したのでしょう。。父は明らかな興奮状態で、どこかしら嬉しそうに見えました。

僕は、ぼんやりした頭で、1メートルほどすっ飛んで倒れていたブラウン管テレビを起こして、抜けたコンセントを繋ぎ直して電源を入れました。なんとか映ったテレビの向こう側も、父と同じように大騒ぎをしていました。僕は、大地震がここを襲った事を知りました。ここで地震が起きるなんて。そんなこと、夢にも思っていませんでした。実感も涌きませんでした。

僕は外へ出ました。冬のどんよりとした空でした。その空へ向って、狼煙のように、いくつもの煙がのぼっていくのが見えました。遠くには、高速道路が見え、その橋脚が倒れているのが見えました。「高速道路壊れてるわー」と父に伝えましたが、父は「アホか」と言ってとり合ってくれませんでした。

僕はリビングに戻り、テレビを再び見始めました。テレビ局にも情報はないのか、どれくらい大きな地震なのかさっぱりわかりませんでした。僕は、停電で映らなくなるまで、テレビを見続けました。父は、そのうち会社へ行きました。母は、床に落ちた食器の片づけを簡単に終わらせ、冷蔵庫の中身を整理しはじめました。水とガスが止まっている事を、母から聞きました。

10時になると、近くのスーパーに買い物に行きました。スーパーの棚は、まるで共産圏の国のように、空っぽになっていました。僕と母は、それでも残っていたものを少し買い、生鮮食料品コーナーで舌平目を買いました。吉野家には長蛇の列ができていました。家に帰った頃には、空にのぼる狼煙の数が増えていました。ヘリコプターの音とサイレンが遠くからも近くからも覆いかぶさって来るように聞こえました。

舌平目は、カセットコンロでムニエルにして食べました。おいしかったように記憶しています。